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チリの世界遺産④ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群

チリの世界遺産登録4番目は2005年に登録された「ハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場群」です!
…と言われても、イメージが中々わかないですよね。

ハンバーストーンとサンタ・ラウラは地域の名前で、チリの北から2番目の州(呼び名としては第Ⅰ州)であるタラカパ州の州都イキケより東へ48km行った場所にあります。
ちなみに、首都サンティアゴから飛行機で約2時間20分でイキケに行くことができますよ!
イキケからは街のツアーを利用するのがおすすめ。
車でどんどん砂漠を進めば片道約1時間ほどで到着します。
首都サンティアゴでのスペイン語留学生活の週末や連休を利用していけるのが嬉しい距離ですね!

なぜこの地域が世界遺産として登録されたかというと名前の通り「硝石(しょうせき)工場の跡地」が残っているからです。

さてさて、そもそも硝石とはなんでしょう?
そして硝石がチリの歴史にどう関わっているのでしょうか?

硝石はスペイン語でsalitre(サリトレ)。
硝酸ナトリウムを主成分とする鉱物で、チリ北部のこの地域一帯は世界一の硝石の産出地と言われるほどの土地なんです。

チリの硝石が産業として発達し始めたのは1872年から。
硝石はの主な用途は肥料と火薬!
特に肥料として輸出され特にヨーロッパの農地で大活躍し、19世紀後半の農業に革命をおこしたともいわれています。

そんな経緯から当時チリに大きな富をもたらした硝石産業。
硝石は“White Gold”とも呼ばれ、ハンバーストーンとサンタ・ラウラの両地域は急成長していきます。
地域内は多くの工場や関連会社が存在し、居住地区は英国調の建物が立ち並び、映画館やスイミングプールが建設。
砂漠に囲まれた閉鎖的な状況もあり、労働者たちは独自の言語や服装、表現を使用するなど、独特のコミュニティを作り上げていきました。

20世紀半ばまで続いたこの地区の栄光は、1929年に終わります。
ドイツ出身の物理化学者であり「化学兵器の父」と呼ばれたフリッツ・ハーバーが考案し、ドイツ出身の化学者のカール・ボッシュが実用化させた「ハーバー・ボッシュ法」というアンモニア合成の発展によって、化学肥料が生産されるようになり、硝石産業は撃沈。

その後も色々策を試みるも1960年に打ち棄てられた工場群はゴーストタウンに…
1970年に観光客に公開され、2005年には世界遺産に登録されました。

実は、このような硝石工場と工場のまわりに作られた都市の廃墟は、ハンバーストーンとサンタ・ラウラ以外にもチリの北部にいくつかあります。
私はチリの北から3番目の州(第Ⅲ州)アントファガスタ州にあるチャカブコという硝石工場と街の廃墟に行ったことがありますが、何とも言えない空気が漂います。
荒涼とした砂漠の中に残された茶色い廃墟と広がる青い空…何だか時がとまったような錯覚に陥る…
ちなみに…チャカブコは強制収容所としても使われていた街だそうで、巷ではおばけが出るとの噂があるんですよ!

日本では体験することのできない雰囲気をぜひ体感してみてください。